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新合気術 広域指導者資格認定合宿レポート

令和8年6月14日開催


 2026年6月14日(日)に東京都立川市近郊にて新合気術広域指導者資格認定合宿が開催された。

 新合気術とは開祖の櫻井文夫によって新たに作られた、自ら仕掛けていく超攻撃技を旨とする流派である。櫻井開祖による新合気術についての説明から合宿は始まった。

 合気道の技とは「先の先」で自ら仕掛けていかないと掛からないものである。もちろん相手が先に動いた時、それに合わせるように自分も仕掛けていくという場合はあるが、相手の攻撃を待ってから仕掛けていくという、いわゆる「後の先」で技を掛ける事は非常に難しい。それが長年の稽古や試合を通して櫻井開祖が導き出した見解であった。

 また世の中には様々な武道があり、それぞれに本質というものがある。武道を習得しようとした時、本来はその本質だけを学んでいけば良いのだが、それだと単調さから多くの人は飽きてしまう。

 そのため本質ではないけれど、その周りにある数々の型など、本質とは直接関係ない事も盛り込みながら稽古を進めているうちに、いつしか直接関係ない事ばかりに目が向くようになって、肝心の技が形骸化していく結果を招いてしまう。だから、新合気術ではその本質にのみ焦点を絞った稽古をしていくのだそうだ。

 

 では新合気術における本質とは何か。それは合気力の出し方を感覚的に身につける事である。ちなみに合気力とは、末端を意識したり動かしたりする事なく相手の体幹中枢を崩す力であるが、それを知るためにはまず『身体のある部分から出す力』を感じられるようになる必要がある。それが合気力の理解へと繋がる第一歩だからだ。

 ここで注意したいのは、身体のある部分とは丹田を指すのではない。丹田は身体の中心ではあっても、丹田という「末端」にすぎないからである。

 そのように言うと当然、ではどこを指して言うのかという話になる。その部分は確かに存在するのだが、明確にどの場所と限定出来るものではなく、人によってもそれぞれ違うので口や文章で説明するのは不可能なのだ。それは稽古者各々が感覚的に感じ取り身につけていくべきものなのである。

 本質的な事について説明を受けたあとは、基本動作について研究をした。新合気術における基本動作とは、型にとらわれることなく相手を崩す合気力の出し方や、身体運用を感じるための稽古である。

 まず念頭に置くべきなのは、構えるのはなく自然体で立つという事である。かつて植芝盛平先生も仰っていた『歩く姿がすなわち武である』という隙のない、それでいて自然体な立ち姿がまさにその通りである。

 しかし、自然体でと言われてもすぐに実現するのは難しい。そもそも構えそのものは結果にすぎない。本質的な力の出し方を身につけた時、自ずと正しい姿勢になっているのである。故に目指すものが自然体であっても、自然体の姿勢を作る事にこだわらない方が良い。

 ただ、従来の構えのように手刀だとか後ろ足の張りだとか、そういった部分的に力むのは止め、ありのままのリラックスした姿勢を常に維持できるよう習慣づけていくべきだろう。

 そしてある部分からの力を感じ、またどのようにその力を発生させれば良いのかを感覚的に感じ取っていく事を最優先に、合気力の理解を深めていきたいと思った。

 基本動作の研究を終えると、次は新合気術の技について指導研究がおこなわれた。先述のとおり、新合気術の技はどれも超攻撃技であるので、すべて自分から率先して仕掛けていく技しかない。

 まずは技を仕掛けるきっかけとなる崩しだが、主な基本崩しとしては、相手の肩と腕に手の平をそえて崩す『いきなり』と、相手の腕外側もしくは内側に手をかけて崩す『すれ違い』、相手の肩を横からたたき崩す『肩横たたき』の三種がある。これらの崩しとそれぞれの技を組み合わせて新合気術の技は成り立っている。

 そして技の名称にも特徴がある。技の掛け方は一般的な合気道とはまったく違うとはいえ、技の基本的な種類は合気道のそれに準拠しているようだった。ただ、技の掛け方や作用の違いから、その特性に合わせて名称が変わっていた。

 例えば、合気道でいう一ヵ条(一教)~四ヵ条(四教)は一抑え(いちおさえ)~四抑え(よんおさえ)とされており、肘締めは肘抑え、肘極めは肘崩し、入り身投げは側面落としや正面落とし、腕がらみはからみ落とし、小手返しは小手崩し、天地投げは天地落としなど、特徴ある名称ばかりで印象深かった。

 しかしながら、聞きなれない技名ではあったが、櫻井開祖からその技を実際に受けてみると、名称が変わっている事に納得せざるをえなかった。

 なぜなら、極められてもいなければ締められてもいない。また力の重さを感じる訳でもないのに自身の体幹中枢から崩されていくという、従来の合気道技とは明らかに異質なものであって、一般的な合気道技の名称には明らかに当てはまらない技運びだったからである。しかしその崩され方こそが、むしろ武道全般としての原点的な本質であるように感じられた。

 新合気術の技名を見て察した方もいるかもしれないが、新合気術の技は崩しに特化した技法である。どの技も先述のとおり、相手の末端を極めたり締めたりする事なく、相手に触れた部分から合気力をとおして相手を体幹中枢から崩し倒す。その時相手はもちろん受け身を取れないで、文字通り崩れるように倒れていくしかないのである。

 ちなみに新合気術では、技を掛けられる人の事を「受け」とは呼ばず、「相手」と呼ぶのだそうだ。受けとは受け身を取る事を前提で、実際は崩されていなくても始めから技を受けようとして掛かってくる人の事を指すからである。ぶっちゃけた話、実際には崩されておらず、下半身が生きているから派手な受け身ができるのだ。一方、新合気術の技は受け身が取れないのだから、相手の事を受けと呼ぶのは適当ではないと言える。

 

 今回の合宿中、相手が受け身を取る事も出来ず体幹中枢から崩れていくような技を掛けるために必要なのは合気力であると何度も思い知らされた。しかし当然の話ではあるが、今回の合宿に参加した時点で誰もが合気力を感じられておらず、相手を技で倒せないまま悶々と脳に汗をかくような稽古を繰り返していた。

 しかし、色々試すうちに偶然相手へ力がとおって倒せる場面も見受けられた。合気力に対する感覚的理解はまだまだ今後の稽古次第であるが、相手へ力がとおる機会が増えてゆけば、今後の進歩へとつながるに違いない。

 櫻井開祖も今回おこなったような 脳に汗をかく稽古は、自分の合気力を発見するのに有効だと仰っていたので、今回の研究内容を振り返りながら、今後の稽古へ活かせてゆければと思う。

<合気道S.A. 広報部>